剣道とオリンピック

オリンピック

中学・高校は剣道部に所属していました。

高校では団体(中堅で出場)で広島県大会優勝という経験もしました!(ちょっと自慢です、ハイ)

長男と末娘も高校まで剣道部員で、追っかけの楽しみも味わいました。

つまり、私は剣道が大好きなんです!

剣道はオリンピック種目ではありません。

全日本剣道連盟は「剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられますが、「稽古」を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」です。」としています。 

まあ、私は、稽古を続けていませんから^^; 本来の意味で剣道を全うしていません。

私が関わってきた剣道は、運動部の剣道であり、感覚としては完全に「スポーツ」だったと思います。

東大招待大会で優勝した、娘たち福島高校女子チーム

それでも、剣道がオリンピック種目じゃないからこそ、残っている「良さ」がある気がしてなりません。

剣道はかなり「曖昧」です。面・胴・小手・突きの4つの決め技があり、基本的にはそこの部位を打てばよいのですが、単に当てればよいのではなく、「良い」打ちでなければならず、さらに「発声」とか「残心」とか「気剣体の一致」などが求められます。

つまり審判が絶対であって、審判の判断の言い訳がたくさん用意されているとも言えます。笑

私はそれが悪いなんて全く思いません。それでいいんです!そこがいいんです!

他のスポーツ同様、選手(剣士)は勝つためにできる限りの努力をします。それでも負けた時、たとえそれがどんな誤審であったとしても、必ず静かに受け入れます。そしてきちんと礼をし、淡々と下がります。

(ちなみに勝った方も同様の行動を取るので、剣道ではどっちが勝ったのか雰囲気では全然わからないことがよくあります^^;)

オリンピック種目では、ビデオ判定が普通だし、チャレンジとか抗議とか認められていることが多いけど、剣道では勝負が決まった瞬間に「終わり!」です。

不思議なことに、選手も指導者もそこに関してはとても諦めが良いのです。清々しいです!

勝っても負けても「ありがとうございました」という気持ちにちゃんとなれます。

見方を変えると、「自分の意見をきちんと表明し、間違っているときは間違っているとちゃんと言える」子どもを育てようという教育的観点からすれば、これはちょっと問題かもしれません。武士というタテ社会の中で重用された剣道ならではの、良くもあり悪くもある部分です。

おそらく剣道がオリンピック種目になっていたら、こんな曖昧さを残していないと思います。

私はこんな「武道」感を残している剣道というスポーツが好きです。

ドイツ留学時代に現地のチームに入っていた娘

ところで、今月、全日本女子剣道選手権があります。

福島市出身で、娘とも子どもの頃から交流のあった、大好きな佐藤みのり選手が「出場者メンバー」にないので、どうしたものかと思ったら、「コロナウイルス感染予防の観点から、警察官、刑務官は出場していない」とのこと。(佐藤選手は今年度から警視庁所属)

なんだか一気に興醒めしてしまいました。

警察官、刑務官がいない「剣道・全日本」は全日本とは言えないでしょ〜!!

そう思った瞬間、東京オリンピックが思い浮かびました。

予選もままならず、国によっては参加することも難しいかもしれない、こんなコロナ禍の状況で、「オリンピック」をやってもそれは「世界一の大会」ではないと思います。

選手はもちろん、見る人も、どうしたってそれを感じてしまいます。

そんな大会を、さまざまなリスク覚悟でやるのであれば、やはりしっかりとした説明が必要です。

なぜやるのか。誰のためにやるのか。どのような効果があり、どのようなマイナスがあるのか。

ちゃんと言葉にして、数字にして、文字にして示して欲しいと思った次第です。

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