忖度不要の人々=ボランティア

スポーツボランティア

梯子を外される。

広辞苑によると、(高い所に置きざりにされる意から)味方の裏切りで、ひっこみがつかず困難な立場に立たされること。

まさに森さんの状況・・・と私には見えます。

外したのは誰か。それはIOCでしょう。IOCは人格がないので、あえて誰か?となったらバッハさんでしょうか。それに雪崩を打ったように、経済界もスポーツ界も政界も乗っかりました。

組織とは恐ろしいものだとしみじみ思います。

一方、ボランティアの世界は「個人」の世界です。自分の判断で、自ら手を挙げ、個人として参加するのがボランティアの基本です。誰かに言われてやるものではないし、誰かのためでもない。自らの意思で、社会的先駆的な活動を、無償で行うものです。そこにどんな喜びや意義を見出すかは、人によりますが、「やりがい」とか「仲間作り」とか「社会貢献」などが多いでしょう。高尚ですよね。

「ボランティアはオリパラの良心」だと私は思っています。

一方で、ボランティアという言葉に、面倒臭い、自分勝手、生意気、などというマイナスイメージを持たれる人もいると思います。

これも正解です!笑 私が言うのだから間違いありません!笑笑

ボランティアは個人の活動なので、いろんな人が、その個性を(組織のために)消すことなく参加できます。(活動に差し支えるほどでは困るので、そのための研修などは必須ですね)

ましてや、(組織に対しての)忖度や遠慮など一切必要ありません。自由そのものです。

だから、組織側の人間からすると、空気も読めず面倒臭くて自分勝手で生意気に見えると思います。

これは別の言い方をすると、「お金にこだわらない」ボランティアと「お金に縛られた」組織の違いではないでしょうか。無償性の強みです。

オリパラは、このボランティアの「無償性」を(言葉は悪くなりますが)都合良く解釈して、「ボランティア事業に協賛金やスポンサーはつけられない」としています。

あれだけのお金を集めながら、ボランティアのための事業にお金は使えないのだそうです。

だったら!

せめて、ボランティアの人たちの気持ちを理解しようとしなければならないはずです。

組織委員会のスタッフの中には、ここを本当に大事にして、ボランティアの気持ちを理解しようと休日共に活動参加してくれている人もいます。

しかし、政治家はじめオリパラを推し進めている皆さんがボランティアを理解しようとしているか、甚だ疑問に感じてしまいます。

女性蔑視発言が今回の一連の騒動の発端となりましたが、これはまさに氷山の一角に過ぎず、オリパラは様々な問題を孕んでいるし、それは日本社会の問題でもあると思います。

これを機に、日本が、「個人と組織が対等な力関係をもち、風通しの良い、差異をリスペクトしあえる社会」に一歩でも近づくことを願うばかりです。

コメント