世代 〜橋本聖子会長就任に際して

スポーツ

橋本聖子新会長は1964年の東京オリンピックの年に生まれたから聖子さんで、実際7度のオリンピック出場を果たしている、まさにオリンピックの申し子です。 政治家としても長く、大臣まで経験、しかも6人の子どもを育てる母だそうです!

私に一個だけある共通点は、同じく1964年生まれ(私は早生まれで1学年上なのでやや詐欺っぽいけど)ということです。

今回の騒動?で改めて思ったのは、「私たち世代」についてです。スポーツ界では、例えば「松坂世代」とか「ハンカチ世代」という風にシンポリックな人の名前を付けて呼びますね。おそらく私の一学年下の女性は「橋本聖子世代」ではないでしょうか。

ここからはスポーツとはちょっと離れます。

私の学年(特に女性)を特徴づける言葉は、「雇用機会均等法の一期生」だと私は思ってます。

※wikiより/ 1986年(昭和61年)4月1日 – 「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」

私はその当時の人気企業で、進歩的だとみられていたJTBにその年入社したのですが、大卒女子が自由に手を挙げて応募できる最初の学年でした。

それまではどうだったかというと、決まった大学の、自宅から通勤できる、誰かの推薦を得た人しか受けられなかったのです。私なんか全ての項目でアウトでしたね。

そんな私たちは、まだまだ手探りの会社からはとても大事に(ある意味腫れ物に触るように、目をつぶって)扱われました。まだまだひよっこなのに、貴重な仕事を任せてもらっていたと思います。

しかもトキはバブルの始まり!

会社を一歩飛び出せば、美味しいものを食べ歩き、スキーや海外旅行に出かけ、ブランド品を買い、貯金なんて全然なかったけど、できる限りの消費活動で経済に貢献していました。笑

一方、現場では、課全員分のお茶汲み、机拭き、灰皿掃除は若手女性がやるのがあたりまえという時代でした。

80年代後半、昭和から平成に変わる頃の、「24時間働けますか?ビジネスマ〜ン♪」の時代です。

こんな私たち世代の多くは、結果的に30代に入る頃には次々と結婚、退職、子育てという道を選びました。ちょうどバブルもはじけたころでした。

私たちの学年の象徴ともいうべき存在は、「雅子さま」だと思います。外務省のキャリアウーマンだった彼女もまた、29歳で皇室に嫁ぎました。

その前の世代は25歳を過ぎて結婚していない女性を「クリスマスケーキ」にたとえていましたが、それが30歳になっただけでした。

65人いた大卒女子の同期のうち、今も社員でいるのは一桁でしょう。(役員になっている素晴らしい自慢の同期もいますけど!) 35歳までにおそらく3分の2は辞めたんじゃないでしょうか。

本来、ジェンダー平等の先頭で改革してこなければならなかった私たち世代なのに、結局私を含め大多数はそれを果たさず、家庭に入り子育てをしてきました。

もちろんそれはそれで、素晴らしい経験でした。子育てほど人間的で魅力的な作業はないと思うし、3人の子どもを出産し子育てに専念できた10年間ほどは本当に貴重な時間でした。

でも結局、子育てをほぼ卒業した今、多くの仲間たちが再び働いています。起業した人、別の会社の正社員になった人、アルバイト、趣味を仕事にまでブラッシュアップさせた人。本当に皆面白い人生をちゃんと送っています。

人生に正解はないし、不正解もありません。

皆あっぱれ!です。

でも、ジェンダー平等という観点から見ると、やはり「期待にそえなかった」という気がします。

任された責任を、全うしなかったような気がしています。

その結果が世界の中の、日本のジェンダー順位の低さにあらわれています。

だからこそ、橋本聖子さんには頑張って欲しい。

私たち世代が、「これから」でも社会の役に立っていけるんだ! 何かできることがあるんだ!という希望をぜひ感じさせて欲しいと思います。

そして、私たちおばちゃんも、もう一踏ん張り、社会に貢献していきましょう!

そうそう、ちなみに、私たち86年代新入社員を表す言葉が「新人類」でした。もう完全に化石化してしまいましたけどね。同期の仲間は本当に「面白くて、先進的で、エネルギッシュな人」が多いです!

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